八手(やつで)の思い出(150)

 幼少の頃から50年ほど住んでいた家には5坪ほどの裏庭があった。L字に濡縁があり、庭に降りるための大きな石の三和土から飛び石がS字状に庭の向こうに通じていた。大屋根を越すかと思われほどの黒松の木が一本、偉容にあたりを睥睨し、その傍に高さ六尺ほどの石燈籠が立っていた。
 雨の日は厠に行くには半分雨の吹き込む縁側の奥を通って行かなければならず、まして冬の寒い夜は、幼いものには怖しい廊下であった。厠を出て、手水鉢から柄杓で水を汲んでの手洗いは、時には薄氷を割って洗わなければならないこともあり、用を足すにはかなりの苦行を強いられた。また、燈籠のあたりには何かが潜んでいるようで、その怖さも重なって、できるだけ行かないように我慢することが多かった。
 ある程度大きくなってからは、雨に濡れないよう硝子戸を入れたり、手洗い器を設置したり、厠への我慢は軽減した。そのころから、少し庭いじりをはじめた。西側にレンガで縁取りした花壇を造り、北の隅にシャガを植えたことは覚えているが、そのほかに何を植栽したのか全く記憶にない。ただ、背丈以上の八手の木が一本あったことは記憶にある。切っても切っても大きくなる八手に何だか圧倒された思いもあった。
 
 二年ほど前にバス停横に新設された高校の周りに、環境美化もあって多くの植物が植えられた。ツバキ、アセビ、ドウダンツツジ、クロガネモチなどに交じって、ヤツデの木も多く植えられた。最初は幼苗だった木々も二年経つとそれぞれしっかりと枝を伸ばし葉をつけ花を咲かせ実を結んだ。中でもヤツデは際立って大きくなった。それを見て、幼少時の裏庭のヤツデを思い出した。それも、松の木はさておき、なぜヤツデの木だけが植わっていたのだろうかの疑問だった。
 あまり意識をしなかったヤツデだが、思い起こせば、国鉄の駅のトイレの横にあった馬鹿でかいヤツデ、菩提寺の門脇にあったヤツデなど、太陽の陽光に照り輝くイメージがなく、日陰にゆったりとたたずむ印象が強かった。そう思えば、裏庭はあまり日当たりのよい場所ではなかった。ヤツデは日陰の植物なのだ。

 ヤツデはウコギ科ヤツデ属に属し学名はFatsia japonicaである。学名の Fatsia は日本語の「八」(古い発音で「ふぁち」、「ふぁつ」:室町時代まではHはFの発音)または「八手(はっしゅ)」に由来するといわれている。葉の形が八つに分かれているからヤツデと思っていたが、いくら探しても八つに分かれた葉はなく、たいていは七つか九つに裂けている。

 新潟県以南の海岸近辺に自する日本固有種で、花は晩秋から初冬にかけて、茎頂から黄白色の花穂を伸ばして、黄白色の小花を球状につける。ヤツデの花には雄花と雌花の区別はない。ひとつの花が日が経つにつれて雄花から雌花に変わる。雄花の時期は雄性期(ゆうせいき)と呼ばれ、おしべが成熟して花粉を出し、蜜も出すが、やがておしべと花びらが散り、蜜も止まると、今まで小さかっためしべが伸び始める。めしべが成熟するとふたたび蜜を出して虫を呼ぶ。この時期は雌性期(しせいき)と呼ばれる。おしべとめしべの成熟する時期がずれているのは、同じ花の花粉がめしべに着くことを避けるための工夫で、近親交配を防ぐための工夫がなされている。
 ヤツデの開花時は昆虫が少ないことから、ブドウやカキなどの果実の糖度の3倍以上の甘い蜜を分泌し、昆虫を誘惑する。
 
 ウコギ科の仲間には、オタネニンジン朝鮮人参、トチバニンジン竹節人参をはじめ、ウド、タラノキ、ウコギなどの有用植物が多いが、ヤツデには葉に有効成分サポニンのα-アファトシンやβ-アファトシンなどが含まれ、鎮咳、去痰などの風邪の症状には用いられている。また、リューマチ・疼痛、腰痛などには、乾燥した葉を布袋に入れて鍋で煮出してから、そのまま風呂に入れて浴湯料として使用される。
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