楷(カイ)の樹(湯島聖堂と閑谷学校) (107)

 久々の東京宿泊で、飲み仲間に誘われて、まだ決めかねているホテルを考えながら杯を重ねていると、お茶の水近くに宿を取ったといわれ、つい度を過ごし午前様に近いチェックインとなった。
 翌朝、あくびを噛み殺し、ホテルを出てJR御茶ノ水駅に向かって歩きはじめると、格式高い建物が塀越しに臨まれた。昼からの会合にはまだ時間があったので、のぞいてみることにした。
 案内板には「湯島聖堂」とある。江戸時代に武士の教養、思想の中心とされた儒学の振興を目的に徳川五代将軍綱吉が創設したのが始まりとか。
 湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものであるが、その孔子像を守るかのように、楷(カイ)の大樹が涼しげな影を落としていた。

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 楷の木はウルシ科ランシンボク属の落葉高木で、学名は、ピスタシア・キネンシス・ブンゲ(Pistacia chinensis Bunge)、黄蓮木とも呼ばれ、秋にはきれいに紅葉する落葉樹である。この楷の木には以前どこかで出会った気がする.。思い出せないまま数日経った。

 ウェブで「楷の樹」を検索してみると、次のような記述にぶつかった。
 「中国山東省曲阜に葬られた孔子の墓の周りに、弟子たちが楷の木を多く植え、喪に服したと言われています。それがやがて孔林という広大な遺跡となり、科挙の合格祈願木となり、歴代の文人たちも学問の木として自宅に植えるようになったということです。
 大正年間に農商務省林業試験場の白沢保美博士が、孔子廟の種子を日本に持ち帰り、苗に育てました。その後、孔子ゆかりの地である、湯島聖堂(東京)、備前の閑谷学校(岡山)、足利学校(栃木)、金沢文庫(神奈川)などに植えられました。」
 この記事で今までのもやもやが吹っ切れた。そう、備前の閑谷学校で見たのだ。閑屋学校を訪問したのは、6年前の2月だった。備前焼の里を訪れた折、少し足を延ばした。
 閑屋学校は、江戸時代、寛文10年(1670)に備前藩主池田光政が地方の指導者育成を目的として設立した藩営の学校で、武士だけでなく庶民の子弟も教育した世界最古の庶民学校である。高山彦九郎、頼山陽、大塩平八郎、横井小楠なども来遊している。建物の中心の講堂は国宝に指定されている。
 この構内に楷の樹が植えられていたのだ。すっかり葉を落とした楷の樹が寒々と震えていたのを思い出した。
 ついでの話として、楷の樹は枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源となったといわれている。

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 <楷の樹の紅葉>
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