城崎にて/ホタルとホタルブクロ (74)

 同業者の人たちと城崎へ一泊旅行へ出かけました。
 城崎と言えばすぐに思い起こすのが、志賀直哉の短編小説「城崎にて」です。小学校6年生の国語の時間に、この小説の出だしがガリ版刷りの冊子として配られ、何度も何度も声に出して読まされたものです。今でもその冒頭をそらんじることができます。
 「山手線の電車にはね飛ばされて怪我をした。その後養に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと医者に云われた。二三年で出なければあとは心配いらない、とにかく用心が肝心だからといわれて、それで来た。・・・・・・」
 その後、中学に入ってから、全文を通読しましたが、大きな感動を得ることはありませんでした。死の静けさとか、自殺のできない動物の生へのあがきや、不意にやってくる死など、多感な年代とはいえ、じっくりと死を見つめるには、まだ早い年頃でした。
 そんな訳で、城崎と言えば、温泉町のしっとりとした情緒が思い浮かぶより、何だかしーんと静まり返った世界の印象を強く感じていました。
 
 宴会前に城崎名物の外湯めぐりに出かけました。「御所の湯」を出て、宿泊の西村屋に向かう途中、左側に「三木屋」の明かりが目に留まりました。直哉が逗留し、玄関の屋根の上の死んだ蜂を見ていたところです。
 湯上りのさっぱりした気分が、またもや失せてきました。何だか、直哉に振り回されそうです。

 食後、宿の仲居さんから、今から行けばホタルが見れますよ、とのことで、下駄を鳴らして、大谿川に沿った木屋町通りまで出かけました。こんもりとした小さな森のそばの川原にホタルが乱舞しています。
 その時、耳の奥で唱歌「ほたる」の旋律が聞こえてきました。「ほたるの宿は 川ばたやなぎ やなぎおぼろに 夕やみよせて 川のめだかが 夢見るころは ホ ホ ほたるが ひをともす」 

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 葉桜の幹の根本がほんのりと明るく、一匹のホタルが弱い光を燈しています。指を近づけても飛び立つ気配もありせん。よく見ますと、雌のゲンジボタルです。一週間ばかりの成虫期の命をを終えようとしている最後の別れの光にも見えました。どうも、城崎は命が付き纏います。

 翌日、城崎からの帰り道、舞鶴に立ち寄りました。引揚記念館で当時の写真や資料を見ていますと、辛苦の末、やっと辿り着いた祖国へ生きて帰れた喜びが伝わってきて、目に熱いものがあふれてきました。
 丘の上から引揚桟橋が見えると教えられ、戦争時の連隊や遺族会などが記念植樹した並木坂を登りました。眼下には小さな桟橋が見えます。多くの人たちの悲喜交々の思いが積み重なった桟橋があの小さな桟橋かと意外な気がしました。
 坂を下りながら、ふと草むらの奥に首をかしげたホタルブクロを見つけました。キキョウ科の清楚な白いこの花に、先人はきっとホタルの隠れ宿を連想して「ホタルブクロ」の名をつけたのに違いありません。
 ホタルブクロの花言葉は「愛らしさ、誠実、忠実、正義」、7月10日の誕生花です。
 命を身近に感じた今回の旅は、最後にホタルブクロとの出会いで安らぎの旅として終えることができたのです。

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